[ アメニアル ]

2009/現代HEIGHS Gallery DEN

   「アメニアル」

   私と林檎にはちょっとした縁がある。
   ひょんなことからニセコに通うようになり、
   すぐ近くに林檎の町があったことは、
   私にとって、とても幸運なことだった。 薄ピンク色の可憐な花が咲き乱れる春、
   
小さい青い実がつき始める夏、
   真っ赤な実が うれしそうに大勢で歌っているように見える秋。
   どの時期に足を運んでも、その度に新鮮な景色を見せてくれる。

   それはあたり前。
   いっときとして、同じ条件などあるわけない。
   同じ光も同じ風もないのだから。

   赤い実がぶらぶらぶらぶら。

   これでもかと、木の枝が折れそうなほど、
   たわわにぶらさがっている様子って、真昼に見える銀河系のよう。

   勝手に命名、「りんご銀河系」。

   そしてそのうちだんだん、わからなくなってくる。
   いつのまにか自分も林檎になっていく

 

 


[LIKE A MIST,LIKE A RAINBOW ]

2008/galerija SULUJ

「LIKE A MIST, LIKE A RAINBOW
〜 霧のように、虹のように

淡いもの、せつないもの、もろいもの ちいさなもの。
霧のように、虹のように、たとえ、はかなく消えて行くものだとしても、それでもなお、一瞬一瞬力いっぱい輝くものに惹かれる。そして、その輝きこそ決して何があっても永遠に変わらない美しさではないだろうか。この世界に溢れているその瞬間にたくさん出会いたいと思い、そして、それを留めたいと思うのである。


セルビア SULUJ Galleryでの企画展となります。
今回、NPO法人日本ユーゴア−トプロジェクトの秋川伸子氏のご尽力により開催される運びとなりました。
私が写真を始めたのは、ベルリンの壁の崩壊した翌年の1990年にチェコスロバキア、ハンガリー、ユーゴスラビアと旧東欧諸国をまわった旅がきっかけでした。社会の体制ががらりと変わり、新しい時代に生きようとする人々、そしてその波にとまどう人々、色々な空気がうごめいている中で、その空気に触れたことが、私の写真の原点となり、そして、私の人生さえも変えられたような気がしてなりません。
2006年に東欧への再訪が叶ったときには、すでに16年もの月日が流れていました。
私は、エミール・クストリツッツア監督をはじめとするユーゴスラビアの映画が好きで、どれも重たいテーマを扱いながらも、ユーモアにあふれ、人間の前向きに生きるひたむきさと強さを見せてくれ、そして強烈な民族音楽、あつい気質を感じたセルビアという国にとても興味をもちました。そして、この国に何度か通ううちに、人間味あふれる人々の魅力に惹かれ、また年々変わり行く国の様子も気にかかり、このセルビアの国や人をもっと知りたいという思いから、この展覧会を希望し、今回実現がかないました。

[雪を待つ。 ]

2006/galleryユイット

「雪を待つ。」

"ベルリンの壁の崩壊の翌年、1990年夏、チェコスロバキア、ハンガリ−、ユーゴスラビアと旧東欧の国々を旅した。
この旅が私が写真を始めるきっかけとなった。
そして 、あれから16年たったこの冬、
自分の写真の出発点の都市をもう一度訪れてみた。"

ベルリンの壁が崩壊した翌年の1990年夏の旧東欧諸国への旅が、私が写 真を始めるきっかけになりました。社会の体制ががらりと変わり、新しい時代に生きようとする人々、その波にとまどう人、色々な空気がうごめいている中で、その空気に触れたことが自分の人生も変えたような気がしてなりません。
そして、その減点の土地にもう一度行く事ができたこの冬。
あれから16年も経っていました。その間に私は、もうひとつ、ニセコという場所を見つけました。雪が似合う土地は、私の運命を変えてしまう魔力をもっているようです。


[そして、深呼吸 ]

2005/Roonee247フォトグラフィー

「そして、深呼吸」

ドームハウスというのは、三角形のボードを組み合わせて 、サッカーボールのよう に 球形にした、文字どおり丸屋根の家のことだ。
三角形というのは最も無駄がなく構造上最も強い形で、それを組み合わせてできてい る ドームハウスは、風に強くて、熱効率もいい、バックミンスター博士という建築家で あり、哲学者であり、思想家であり、現代のダヴィンチのような人が考えた理想の建 物なのだ。 それはさておき、このドームハウスなんてものを作ろうとしたのは、自然が好きで 東京からニセコに移りすんだ建築なんて全くの素人である。
基礎の穴を手堀りで掘ることから始めて、仲間が仲間をよび、たくさんの人の協力の おかげで、本当に作ってしまったのである。
そして私はその過程をずっと間近で見ていった。
丸屋根の1段目の三角形がぴっちりおさまった瞬間、大げさかもしれないけれど、 「これは奇跡だ!」と思った。 三角形のボードが少しの狂いもなくできていなければ ならないし、三角形をおいていく角度はものすごく微妙な角度なのである。 ドームが立ち上がっていく過程の中で、それから先にも、小さいけれど、この奇跡と よびたいようなことを何度も目の当たりにした。 唐突だけれど、この小さな奇跡というのは、「人をおもうキモチ」がおこしてたん じゃないか、と思えてならない。みんなの彼への応援というキモチが形になっていく のを みていくにつれて、そう信じるしかないように思えてしまったのだ。 そして、私は、今回写真展という形でこのドームができる過程を振り返る時間をもっ た ことで、ニセコに通いはじめた時、さらに写真を始めた時までさかのぼることをして、 気付いたのである。
今ここにいる自分も、こんなふうにたくさんの人からの「小さな 奇跡」の連続で写 真を撮り続けてこられたのだということに。 そして、思うのである。
世の中ってもしかして、日々のそういうものと、1+1=2みたいな、簡単な仕組み で 意外とできてるんじゃないのかなあ、って。

[ひとつぼ展 20回記念展 going1992-2002 ]

2003/ガーディアン・ガーデン




「ウサギの庭、キツツキの声」

手作りのスギナ茶をもらった。
日本風のカモミールとでもいおうか、 やさしい、やさしい味だった。
スギナなんて、庭にはえてくる雑草の 中では根は深いしやっかい
な代物 だと思っていた。
でも、こんなに やさしい味になるのだとわかったら、雪が溶けて、
スギナが顔を だしてきたらかわいがってあげようと思った。
ニセコにも長かった 冬がそろそろ終わりを告げ、春の風がふいて
きたようだ。






[ ウララ・シンネ、ラヨチ・シンネ ]


2002/ガーディアン・ガーデン

 



[ 窓 ]

2001/ガーディアン・ガーデン






{窓}

この家の窓から見える景色が好きだ。
刻々と変わりゆく景色を見ていると、雨が大地に降り、やがて雲となリ再び
雨や 雪になるというそんな当たり前の水の循環を思い出す。
そして、この北の地に身をおいてみると、頬にあたる風も潮の満ち干きも星の動きも、私が出会った全ての事も決して自分と無縁の所で行われているのではないと感じるのである。







[孔雀の視線 ]

2000/東京写真文化館



会場風景
NO PHOTO

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